2007年10月06日

10月の新・即興の日 終了

次回は11/13です。 なってるハウスにて7時から。

昨夜はお集まりいただいた方々、熱演ありがとうございました。
従来、思うところあってこのような即興の結果に対してコメントすることを差し控えて参りました。
というのは、即興演奏は一回性が命であるため、つぎはここをこうしたら、という「学習」は余計なとらわれを生むのではないか、というおそれのためです。
何にもとらわれることなく、その場の空気を敏感に嗅ぎ共有して発せられる、その日だけの音、そのためには上手くとかヘタにとか大きくとか小さくとか普通の音でとか普通じゃない音でとか一切、御意見無用、ってのが大事だと思います。深いよね。考え深い、ということじゃないですよ。それと真逆。考えとか知識などという人間存在のごく小さい部分を突き抜けるということです。こう書くとカルトそっくりですが、そうじゃないです。ばったり友人に会って、「よっ元気?」っていうだけでその人の調子とか精神状態が読み取れる、っていうのと同じです。違うのは、俺はこの音気持ちいいんだけど、どうよ?ってとか、違う話題がはいってくるってことかな。よく分からなくなってきましたが。
「よっ元気?」ってかわりに「こんちは」って言っても「HELLO」って言ってもいいんですよね。卑猥な奇声を発するだけでも良いし。重要なのは相手がいて、こんちはの気持ちを伝えたい、ってことですよね。または、伝わるもんなんだなあ〜、って思い込むことかもしれません。それで安心して生きていければ、それで良いじゃない。な〜んて。

で、昨夜の即興演奏、女性の参加者が久々にいなかった、というのが最大の特徴でした。な〜んて。
前半は「いわゆる即興」みたいになってしまい、退屈な時間が多かったです。定型のリズム型、平均律上の和声、メロディー、これらは人間の中のごく小さい一部分である「考え」に根ざしていると思います。これらは絶対的に身体に根ざしてはおらず、ということは、身体のみを共通のアイテムとする、全く初めての場で初めて会ったと想定した人同士のコミュニケーションには使いにくいし、腐臭を発するウミとなったりします。前半でウミが出たのか後半は吹っ切れてましたね。もう身体言語的。もちろん、最後の狂熱地獄がよかったワケじゃないです。共感はできるけど。でもあそこに至る、ってのが本当に良かったね。
他人に聞かせる場合、客もヒソカに狂熱してくれないといけないわけですが。
やはり、音に対する原始的な「嗅覚」みたいなものを研ぎすましていけば自ずと道は開けるような気がする。
「知性」や「考え」と言うものを否定してる訳じゃなくて、線を引いてたら腐敗するだろう、と思ってます。しかし文明はこれからもさらに線を明確にしていくでしょう。それが言語をもつ文明の宿命というか、文明という言葉の裏の意味であるからです。

オスカーワイルドは「アメリカ人は、天国と、天国についての講演、では後者を選ぶ」とかなんとか言ったそうですが、自分でも考えがまとまらず読みにくい文章になっちゃったけど、このようにキリが無いので話をやめます。
posted by けつまん at 12:38| ☔| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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