前からネット上、テレビ番組でだいぶその概要は見ていたし、あの界隈の大きな建物群のなかで、それほどインパクトはなかった。大きい、とはいっても、しょせん動かぬ「絵」であるし、現在の東京の建造物のスケール感に比べると明らかに分が悪い。
なわけでしばし壁画の前でたたずむ。まわりはテーマパークっぽい喧噪だ。まわりの異常な「明るさ」にくらべて異様に暗い。
どうでもいいが、絵を見る順路としてものすごく至近距離にロープが張ってある。近くで見ればいいってものではないだろう。
などと、どうも沈んだ気分になってしまう。
だいたい、太郎の絵画作品「痛ましき腕」とか「重工業」とか、もともとあまり好きではなかった。彫刻はかなり好きだ。
しかしながら、しばし壁画をつらつらと眺めているうちに、中央の踊っているようなガイコツの背骨だけがなんで緑色なんだろうか、とか、右端の小さな変な生き物達がもっと右の方を目指して動き始めているように見えて、何が暗示されてるんだろうか、などとうすらぼんやりと考えている時、突然なにかがズーンときた。ガツン、とではなく、まさに呪いにかかったようなじわーっという感覚である。
あまり好きではなかった太郎の絵ももう一度見てみたくなったし、このズーンという感覚が背景を見たり中央に戻ったりしているうちにあるリズムを伴ってどんどん振幅が大きくなってきた。うわっ呪われた!ヤバい!と思ってたら「マツモトさ〜ん」と声をかけてくる人がいる。nino trincaのメンバー、アランだった。おかげで呪いがとけ、なってるハウスへ移動する事が出来た。
なってるハウスでのセッションは蜂谷真紀、河合拓始と3人で、ずーっと最初から最後まで3人でガチンコ即興演奏。
尊敬するピアニスト千野さんに似た人が客席にいる。と思ったらホンモノだった。嬉しいなあ。と、同時に少々緊張。
河合君は終始高めのテンションを保っていて、蜂谷さんも動きのあるプレイで、おいていかれそうになるのを時々力まかせに混ぜっ返し、だんだんに溶合ってきたりするけど、3人とも直球でまさにガチンコ即興だ。くんずほぐれつの前半だった。
後半もストレートな音の饗宴といった具合で楽しめた。
全体的に蜂谷さんのエフェクトしないナマ声の微妙な中に多彩なスペクトルのうねり、良かったです。うねったうねった。
70年代の壁画などに負けてはおれないのだ。
「自分が法隆寺になればいいのです」
これだ。