昨日のインスタントオーケストラは、少数精鋭ということが見事に効を奏し、かなりなレベルの演奏だったんじゃないでしょうか。松原東洋の踊りもここ数年見るたびに一皮むけたなあ、と感じさせられます。
こんな東京の状況はすごいと思います。
もうちょっと見に来る人が増えればいいなあと思います。
まったく、演奏者の「レベル」は、音楽学校の卒業生が毎年相当数いることや留学する人の多さを考えても、信じられないほど上がってきていると思います。それに対して、聞く人の大学というのはありません。あたりまえですけど。その上批評はほとんど不在のままです。ですから、ごくまれに全国に点々と存在する「聞く能力」に恵まれた聴衆に頼らざるを得ません。まさに某テューバ奏者がよく言っている、「聴きに来た人天才」というワケです。
なにか面白そうなことを嗅ぎ付け、身銭を切って、自分の時間を使って享受する。せち辛い世の中、感性以外にもいろいろな能力が必要となりそうですね。
比較の対象にならないかもしれないけど、医学部はあるけど患者の学校はありません。
でも本当は必要なんじゃないか…?と思います。
…とはいえ、「レベル」が高いからエラい、とばかり言ってもいられません。「レベル」という感想が出てくるということは、穿った見方をすると、ある物差し、序列、のなかのある位置を占めている、と感じることに他なりません。それではツマラナイよね〜。「教室」を模様替しただけの風景。
昨日のがそうだったのか、というと必ずしもそうでもないのですが、まだまだ爆発力があるとは感じました。あの状況で全部だせ、というのはあまりにも酷ですが、直観的皮膚感覚的、といいますか、意図せぬたたずまい、というか、う〜む、何言いたいのか…。そうですね、意図せぬたたずまい、というのが一番近いかな。ただ、たたずまい、というと静的な印象を受けますけど、ここでいいたいのはもっと動的なものも視覚も聴覚も第六感も含んだ総合的なものです。多分何かぴったり来るコトバがあるような気がするんだけど…。
ヒトがやってるの見ると、いろいろ考えますねえ。