2006年09月19日

今日の即興

今日はフジエーさんの招きにより「即興共犯者の宴 第1回」というイベントに出席(出演)してきました。

初台(地名です世路詩句)の閑静な住宅街の真ん中にあるアトリエ「余白」は、主催のSSSメンバーの手製のおにぎりとか豚汁とかでいきなりお茶の間空間。アットホームな感じでした。お客さんは食べ放題なのである。すばらしい。やはり衣食足りて即興を聴く、ということだ。
しかし、フジエーさんはよくこういう場所を知っているなあ。

内容的にはちょっと難しくて、お客さんが持ってきた「モノ」を題材に8分の即興演奏をやる、というもの。

自分のワークショップではこの種の、モノ、とか、言葉、とか,香りetcを題材に即興をやることはまずないのですが、これはひとつにはその結果どうであったか…という判断がとても曖昧になるし、参加型のワークショップでは漫然としてしまい、難しいと思うからです。一応、何をやらないか、ということは考えているのですが、その結果いつも「何もやらない」ということになりがちですが…。
そもそも、「モノ」を演奏に変換すること自体、至難…。その作業を通して自分の壁を突き破れれば良い、とは思うのですがね。今日はそこまで辿り着けなかったなあ。

お題は「牛の頭蓋骨」「体重計」「戸あたり」の3点でした。

戸あたり
http://lib3.store.yahoo.co.jp/lib/kurashi-h/S1011150.jpg

今日本当に参加して良かったなあと思ったのはしょっぱなの「頭蓋骨」で、ダンスの根耒裕子さんとデュオで共演してイキナリにして気持ちがよかった、ということと、この頭蓋骨を持参してくれたお客さんの話が実に共感できたということでした。話というのは、一言でいえば現代文明批判なんだけど、まさにこの人は危機的状況をハダで感じているんだ、ということが伝わってくるような話でした。

額の部分に無惨な孔があいているのですが、これは屠殺された時のクイのあとなんですね。
頭蓋骨というのは、死の象徴であるけれども、牛さんの死の状況というのは避けられない屠殺であったわけです。
そのことは演奏後にお客さんの方から明かされたのですが、その屠殺の事実以前に、死の象徴であるが生前は悠然と草を食んだりしてたわけで、まさに生と死の象徴であるわけで、それを演奏という時系列の中にどう提示していくか…?なんてことを考えてたんですが、根耒さんもほぼ同じようなことを考えておられたようでした。
とはいえ、前半4分が生きている場面、後半4分が死んでる場面、間に屠殺シーンをはさむ、などというお茶の間小劇場みたいなワケにもいかず。一音一音が生と死の面を同時に表しているような、同時に音楽そのものがめざすは生の讃歌、快楽の饗宴、というはなはだ自己矛盾したようなところで四苦八苦しました。

岡本太郎「明日の神話」も真ん中でガイコツが踊ってるわけですが、生と死のボーダーラインが決然とした直線ではない…という感想をもちつつ、あの踊るガイコツの背骨が緑色であることの意味が分かるような気がしました。

終演後、打ち上げ参加したかったけど所用にて辞去し、帰宅したらなんかすごく疲労してて一時間ほど気を失ってたらまたムラムラとカセット制作したくなってまたひとしきり即興演奏。今度はテーマとか約束事なし!
posted by けつまん at 01:41| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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